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「半分青い」の岩村城下町(4)浅見家〜土佐屋

JUGEMテーマ:歴史
 

 

浅見家

 
浅見家は幕末三代に亘り庄屋を務め、八代与一右衛門の時には名字帯刀を許されています。九代与一右衛門は、明治になって衆議院議員を務め、また銀行設立、岩村電気鉄道株式会社設立など岩村町の発展に尽力しました。
主屋は18世紀末から19世紀初期のものと推定され、当初の板葺石置屋根、大戸、蔀戸の痕跡が残されています。
(城下町ホットいわむら)より
 

 
浅見家は幕末三代にわたって大庄屋をつとめ、岩村藩の政治・財政に盡力した。先祖は松平家乗(いえのり)が慶長6年(1601)に上州那和(群馬県高崎市)から岩村城主とし転封したとき、御用達職として共に岩村に来た。
 八代政意のとき大庄屋兼問屋職となり、九代為俊のとき苗字帯刀を許された。浅見家は岩村藩が宝暦9年(1759)に郡上騒動による郡上八幡城請取の役を命じられたときに軍用金を調達したり、領下の困窮者に籾米を施したり、江戸藩邸の類焼に多額の金品を送るなど木村氏と共に岩村藩を支えた。
 十代与一右衛門は大井━岩村間に難大事を克服し明治39年に全国7番目の電車を開通させ、県会議長、衆議院議員として大いに活躍した。(案内板より)

 
土佐屋

 

敷地内には主屋・離れ座敷・土蔵・染工場の四棟の建物が並ぶ。主屋は祈祷札や文献などにより、安永9年(1780)以降、文政4年(1821)以前の建築です。一階部分の間取りは当初の姿をほぼそのままに伝えています。二階は、当初は表通りに面した南側だけでしたが、後世の増設による北側座敷も残して復元しています。
(城下町ホットいわむら)より

 

 

 

 

 

 

 

 

 
土佐屋の沿革
 現在、土佐屋のある本町4丁目は、江戸時代には下町と呼ばれていたところである。土佐屋は、本町通り北側の細小路と下横丁のほぼ中間辺りに位置している。
 明和年間(1764〜71)の「屋敷町屋分間図」に「伊左衛門(六代・寛政6年没)と記されている宅地が該当し、現在の位置と合致する。
 また、天保12年(1841)の「町方家並帳)には、「土佐屋仙蔵(八代・嘉永5年没)と記され、間口が4間3尺となっており、現在の間口4間半と合致している。
 これら江戸時代の資料により、伝承通り、元禄年間にこの地に定住したことに間違いないものと考えられる。

 

河合家は、阿部氏の嫡流で、建保年間(1213〜18)に遠山庄で客死した鴨長明が寓居したと伝えられる旧家である。
系譜が明らかになるのは明暦年間からで、同3年(1657)没の河合又右衛門を始祖としている。
元禄年間に領家より本町通りの現在地に移住し、四代伊左衛門(元文元年没)の時代から染物業を営んだと伝えられる。
 

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