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サントリービール工場「京都ブルワリー」見学(3)

JUGEMテーマ:ビール工場見学
 

 

厳選した酵母を加えて発酵され、その後、貯酒・ろ過の行程を経て「ザ・プレミアム・モルツ」が完成します。
 
醸造家ロードと名付けられた通路を通って進んで行きます。
 

 

 

ろ過

 

パッケージング

ろ過が終了したビールが缶や瓶、樽に詰められます。
 

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| 工場見学 | 14:36 | comments(2) | - |

サントリービール工場「京都ブルワリー」見学(2)

JUGEMテーマ:ビール工場見学
 

 

しばらくすると、シアタールームに通され、プレミアムモルツについてのVTRを見ます。

次にバスに乗り、工場へ案内されます。


 
ビールの製造工程の見どころは、原料、仕込、発酵、貯酒、ろ過に分かれています。
 
原料のコーナーでは、ビールの原料、麦芽・ホップ・天然水についての説明があり、原料の麦芽の試食ができます。
 
仕込工程では、巨大なステンレス製の仕込み釜がある仕込設備を見ることができます。








 
酵母を加えて発酵し、ビールを寝かせる貯酒タンクです。



ここでもう一段階発酵、熟成させます。



 

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| 工場見学 | 14:38 | comments(2) | - |

サントリービール工場「京都ブルワリー」見学(1)

JUGEMテーマ:ビール工場見学

 


昨年の9月、山崎のサントリービール工場「京都ブルワリー」の見学に行って来ました。
 

工場見学はインターネットまたは電話による事前予約が必要です。
 

私は、事前にウェブ予約をしておきました。

工場までは、「阪急西山天王山駅」「JR長岡京駅」から運行している無料シャトルバスが利用できます。

受付を済ませ、展示物や庭園を眺めながら、待合スペースで案内を待ちます。
 

 

 

 

こちらでは、見学日の入ったパネルの前で、記念写真が撮れます。
 

あっという間に10分が過ぎ、案内に従って移動していきます。

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| 工場見学 | 12:36 | comments(2) | - |

「半分青い」の岩村城下町(6)岩村醸造

JUGEMテーマ:国内旅行
 

 

次は、おんな城主という銘柄のお酒で有名な岩村醸造へ。
 

岩村醸造は、1787年(明7年)創業で、当時、現在の蔵元である渡會(わたらい)家が年貢として岩村城に納めていたお米を生かし、造り酒屋を始めたのが起源なのだそうです。
 

大正10年、岩村町でお酒の他に味噌、醤油も造りはじめ、その後、味噌・醤油の製造は止め、酒造業のみに専念しているそうです。

家屋は、江戸時代に建てられた往時の姿をそのまま残しており、 玄関を入ると、岩村醸造の主要銘柄「女城主」「えなのほまれ」のなどのが並んでいます。
 

 

 
奥に進んで行くと、「ウナギの寝床」のように狭くなり、 店先から中庭を抜けて酒蔵まで、酒や米の運搬に使われていたというトロッコ列車の線路跡レールの跡が見えます。(画面右)
 

 

 
中庭では、お酒の仕込みに使う天然水も飲むことができます。
 

 

 

 

 
この日は、暑かったので、甘酒ソフトクリームを店内でいただきました。
 

甘酒の香りがほんのりして、とっても美味しかったですよ!

そして、店内のほとんどのお酒が店頭で試飲可能です。
 

 

 

また、お土産用に小瓶のお酒もあります。
 

 
私は、おんな城主純米大吟醸の小瓶をお土産に買いました。
 


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| 旅行 | 20:30 | comments(2) | - |

「半分青い」の岩村城下町(5)岩村郵便局〜木村邸

JUGEMテーマ:国内旅行
 

 

岩村郵便局の前に、明治20年ごろに使用されていた郵便ポストが、復元されています。
 

 

まち並みふれあいの館(観光案内所)

観光案内所として旧銀行を開放されており、こちらでパンフレットや資料をGETできます。
 

私は岩村城のご城印をいただきました。
 

木村邸

木村邸は江戸時代中期から末期に栄えた問屋で、藩の財政困窮のたびに御用金を調達してその危機を救ったことから、藩主より特別な存在として認められ、藩主自身が幾度となくこの木村邸を訪れたといわれています。
 

 

木村家略譜
木村家の先祖は三河国挙母(愛知県豊田市)の藩士で岩村藩主に招聘されて岩村へ移り問屋職となり、 初代守重より代々が岩村藩の財政に貢献してきた。
木村家はしばしば岩村藩の財政窮乏のとき御用金を才覚して救い、 岩村藩駿河領(静岡県)の水害や同西美濃領(大垣市他)の麦の凶作のとき救済事業に尽力し、 天保5年(1834年)の江戸藩邸類焼のとき復旧に多額の金品を用立てるなど、 歴史に残る事業の多くに活躍している。 代々の当主は文化人との交流が多く、八橋売茶翁も当家に長く逗留し、 八代目、知周は佐藤一齋とは特に交流が深く、知周の墓石の碑文は一齋先生が記している。 岩村藩主もしばしば当家を訪問しており、玄関、座敷、書院、庭等は木村家特有の文化と風流が今も生きている。
 

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| 旅行 | 21:13 | comments(2) | - |

初詣2020(2)五社神社・諏訪神社

JUGEMテーマ:神社仏閣
 

 

初詣第二弾は、元城町東照宮から五社神社・諏訪神社に向かいました。
 

 
五社神社は、曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建したのに始まり、後に徳川家康が浜松城主になり、天正7年(1579年)に徳川秀忠が誕生すると当社を産土神とし、現在地に社殿を建立しました。
太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神とし、相殿に応神天皇、徳川家康を祀るほか、菅原道真、大鷦鷯尊、稲倉魂命、大日女命、素戔嗚命を合祀しています。
 

諏訪神社は、
延暦10年(791年)に坂上田村麻呂が東征の折に敷智郡上中島村(現在の浜松市天神町)に奉斎したのに始まるとされ、建御名方命、八坂刀売命、事代主命を主祭神とし、相殿に徳川家康を祀っています。
 

 
昭和35年(1960年)隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、合祀され、五社神社・諏訪神社となりました。
両社ともに徳川秀忠の産土神とされたことから、子守り、子育ての神として人々の崇敬を集めています。
 

 
元城町東照宮と同じく、お正月は初詣客でごったがしえていました。
 

 

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| 神社仏閣 | 14:18 | comments(2) | - |

初詣2020(1)元城町東照宮

JUGEMテーマ:神社仏閣
 

 

初詣は、近場の神社を参拝してきました。
 

 

まずは、浜松城からほど近い元城町東照宮
 

 


 

 

元城町東照宮は、明治19年、引間城跡に創建されました。
 

引間城は家康公が浜松に入ってから浜松城を現在の位置に築くまでの間、生活していた場所で、かつては豊臣秀吉が訪れた城として、二人の武将を天下人へと導いた場所といわれています。

境内にある家康&秀吉の銅像。
 

二人の間に立って、記念撮影ができます。

現在では、「出世神社」と呼ばれ、浜松のパワースポットとして注目され、多くの参拝者が訪れています。

元城町東照宮由緒
御祭神徳川家康公 事代主命 大国主命
明治維新後浜松藩代たりし旧幕臣井上八郎氏に依り明治十七年
元城町古城(旧曳馬城跡)に創建せられその管理祭祀を大日本
報徳社に委ねていたが昭和十一年その所有権が井上家より亦管
理権が大日本報徳社より大石力氏に引継がれ、その後元城町の
氏神として奉斎する事となり村社に列せられた昭和二十年戦災
により焼失せるも昭和三十四年に社殿手水社社務所等を再建し
今日に至る。

 
手水舎には、日光東照宮にもあるような「眠り猫」「鳳凰」「龍」などが見られます。
 

 

 

 

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| 神社仏閣 | 16:10 | comments(2) | - |

お節料理

 

今年もお節料理作りました。

 

 

蒲鉾以外は、素材から作ったものです。

 

 

 

 

毎年ほぼ同じメニューですが、家族の好みの味に合わせて作るようにしています。

 

 

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| - | 23:12 | comments(2) | - |

新年のご挨拶

昨年も応援ありがとうございましたm(__)m

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

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| - | 00:00 | comments(0) | - |

「半分青い」の岩村城下町(4)浅見家〜土佐屋

JUGEMテーマ:歴史
 

 

浅見家

 
浅見家は幕末三代に亘り庄屋を務め、八代与一右衛門の時には名字帯刀を許されています。九代与一右衛門は、明治になって衆議院議員を務め、また銀行設立、岩村電気鉄道株式会社設立など岩村町の発展に尽力しました。
主屋は18世紀末から19世紀初期のものと推定され、当初の板葺石置屋根、大戸、蔀戸の痕跡が残されています。
(城下町ホットいわむら)より
 

 
浅見家は幕末三代にわたって大庄屋をつとめ、岩村藩の政治・財政に盡力した。先祖は松平家乗(いえのり)が慶長6年(1601)に上州那和(群馬県高崎市)から岩村城主とし転封したとき、御用達職として共に岩村に来た。
 八代政意のとき大庄屋兼問屋職となり、九代為俊のとき苗字帯刀を許された。浅見家は岩村藩が宝暦9年(1759)に郡上騒動による郡上八幡城請取の役を命じられたときに軍用金を調達したり、領下の困窮者に籾米を施したり、江戸藩邸の類焼に多額の金品を送るなど木村氏と共に岩村藩を支えた。
 十代与一右衛門は大井━岩村間に難大事を克服し明治39年に全国7番目の電車を開通させ、県会議長、衆議院議員として大いに活躍した。(案内板より)

 
土佐屋

 

敷地内には主屋・離れ座敷・土蔵・染工場の四棟の建物が並ぶ。主屋は祈祷札や文献などにより、安永9年(1780)以降、文政4年(1821)以前の建築です。一階部分の間取りは当初の姿をほぼそのままに伝えています。二階は、当初は表通りに面した南側だけでしたが、後世の増設による北側座敷も残して復元しています。
(城下町ホットいわむら)より

 

 

 

 

 

 

 

 

 
土佐屋の沿革
 現在、土佐屋のある本町4丁目は、江戸時代には下町と呼ばれていたところである。土佐屋は、本町通り北側の細小路と下横丁のほぼ中間辺りに位置している。
 明和年間(1764〜71)の「屋敷町屋分間図」に「伊左衛門(六代・寛政6年没)と記されている宅地が該当し、現在の位置と合致する。
 また、天保12年(1841)の「町方家並帳)には、「土佐屋仙蔵(八代・嘉永5年没)と記され、間口が4間3尺となっており、現在の間口4間半と合致している。
 これら江戸時代の資料により、伝承通り、元禄年間にこの地に定住したことに間違いないものと考えられる。

 

河合家は、阿部氏の嫡流で、建保年間(1213〜18)に遠山庄で客死した鴨長明が寓居したと伝えられる旧家である。
系譜が明らかになるのは明暦年間からで、同3年(1657)没の河合又右衛門を始祖としている。
元禄年間に領家より本町通りの現在地に移住し、四代伊左衛門(元文元年没)の時代から染物業を営んだと伝えられる。
 

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| 旅行 | 14:43 | comments(2) | - |